Japanese text only. (CSS無し版)
バカアニヲタヒキーの
三重苦を背負った模範的ダメ人間
十日菊とももによる
空想と妄想をつづった日記です。
【俺認定】福岡の最ウマパン屋さん(2015/12/25更新)
総合:シェ・サガラ(久留米市田主丸)
丸パン:屋根に花壇のあるお店(早良区野河内)
白あんぱん:ノーミ(西区石丸)
惣菜パン:黒猫堂(中央区警固)
食パン:コウブツ(南区大楠)
コッペパン:うーぱん(南区大楠)
バゲット:シエルブルー(新宮町)
クロワッサン:エピドール(天神)
菓子パン、惣菜パン:ほのか(東区名子)
菓子パン、惣菜パン:ラ・タルティーヌ(大野城市下大利駅)
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サイコドクターぶらり旅 2005-01-29に 「ジェファーソン高校恋愛構造図」なるものが紹介されています。 これ、性関係図の場合はこれでいいと思うのですけど、 恋愛関係図の場合には 有向グラフである必要があるのではないかと思うのですが、 どうでしょうか。 もしやメリケンには 片思いや岡惚れという概念は無いのか知らん。 あと、グラフに載っていない 残りの259人は非モテという認識でよろしいのでしょうかね。 ニポーンでは自由恋愛の結果、 少数のモテと多数の非モテという構成になってしまったわけですが、 メリケンはそうでも無いのでしょうかね。
小谷野敦は恋愛弱者救済のための結婚システムを論じましたが、 私は最近、承認を供給する結婚システム、というか、 ロマンティックラブシステムについて考えています。
ロマンティックラブイデオロギーというのはご存知のとおり、 ラヴラヴ、セクース、ケコーン、の三位一体を指しますが、 とりあえずここではセクースは出産を含み、 ケコーンは一夫一婦制であることを暗黙の了解とすることにします。 ロマンティックラブイデオロギーが成立するシステムでは、 ひとつには互いを選択することによってペア間で承認し合うことになります。 また、多分、コドモというものは 親にとっての承認装置として機能するんじゃないかと思っていますし(未確認)、 また親の愛情(と呼ばれているもの)は コドモにとって承認となるのではないかと思います。 このように核家族は内部で承認を自給する小宇宙を形成することになります。 夫婦間の役割分担がこれにどう作用するかについては考え中です。 また、一夫一婦制は排他的であるが故の関係の内部の安定性を持ちますし、 ペアとなる男女の人口差が小さい (例えば金持ちとビンボーの人口差よりは小さい)ことを考えますと、 ほとんどの社会構成員がその恩恵を受けることができ、 社会も安定する、ことが期待できます。 そしてロマンティックラブイデオロギーの崩壊はこれを不安定化し、 現在の承認の供給不足がある、とする考え方はどうでしょうか。
すなわち、ロマンティックラブイデオロギーに変わる 承認供給システムを構築できなかったことが今の世の中の大きな不幸ですし、 またそういうシステムの構築が必要とされているのではないでしょうか。 もちろん、ロマンティックラブイデオロギーが無くとも 互いに選びあったモテ男モテ女の勝ち組ペアについては 十分に承認が供給されていることは言うまでもありません。 問題があるのはそうではない負け組連中だけです。 まあ要するに、非モテでも住み良い世の中を作ろうぜ、と言っているわけなのですが。 非モテの遠吠えですか、そうですか。
このように考えたときに問題になるのが、 それではロマンティックラブイデオロギー以前は 何が承認を供給していたのか、ということです。 今のところいくつか考えていまして、 ひとつには、近代以前は承認が無くても成立する社会であった、とする考え、 もうひとつには、誰かの承認ために誰かが犠牲になる社会であった、とする考え、 もうひとつには、共同体が承認を供給していた、とする考え。 これについてどうやって調べていったらいいのか 皆目見当もつかないのですが、 まあ生きていればそのうち何かわかるかも知れません。
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昨日、近代以前の承認供給について書きましたが、 ちょっと不意に思い出しました。 たしかコリンウィルソンのどれかに 近代以前の承認について書かれていたはずです。 論旨はこんな感じだったと記憶しています。
近代以前は、社会がいくつものグループに分割されていました。
そのグループは身分制度などのため互いに行き来が不可能であったため、
グループ内における承認を得ることができました。
すなわち、グループ内でホゲホゲについてイチバン、
というヒトが、グループ数×ホゲホゲ数だけ存在することができました。
このため多くのヒトが承認を得ることが可能だったわけです。
しかし近代化は万人に平等と自由を与えました。
すなわちグループ間の行き来を容易にし、
またグループ間の違いを消し去り、
最終的にひとつの社会としてしまいました。
その結果、イチバンになれるヒトの数は減少し、
したがって承認を得る機会が減少してしまいました。
これは近代化により発生した不幸です。
まあ要するに 6/23 英雄の挽歌に書かれているようなことですね(違う)。 これが理解できれば、 なぜ大人は立派でなくなったのか、 なぜ先生は尊敬されなくなったのか、 などに説明がつきますね。 しかし読んだのが有史以前の昔なんで 何に書かれていたのかは全然覚えていませんし、 何に書かれていたのかが解らないと確認もできません。 まあ、生きていればそのうち見つかるでしょう。
閉鎖的グループに分割されている幸福と、 開放にともなう不幸、という構図は 最近の流行にもありますね。 ひとつにはぐろうばるすたんだあどという奴ですね。 地理的/文化的グループからの開放は、 少数の(経済的)勝ち組と多数の負け組を生み出しました。 もうひとつには学校化社会という奴ですね。 学校、家庭、共同体という独立したフィールドが存在したところに 家庭と共同体の崩壊と学校の影響下の統一により 承認の不足が発生したことは宮台真司の指摘しているとおりです。
そのような不幸な状況に対してどうやって生きてゆくか、 という対応策についても色々出ていますね。 ひとつには、どうやって勝ち組に入るか、ということを論じるものですね。 まあ前向きでいいんじゃないでしょうか。 しかし勝ち組には誰でもなれるわけではなく、 生まれたときに既に決まっている、 という指摘もありますね(斉藤貴男とか)。 もうひとつには、昔に戻ろう、という奴ですね。 ウヨクやら宗教やらもこれですね。 しかし局所的にならともかく 大域的にはこの変化は不可逆なようです、今のところは。 ただし、この先には中世的な世界が待っている、 と主張するヒトも居ます(堺屋太一とか)。 一方で森永卓郎や宮台は、 既存の価値観とは違うところに価値を見出して適応しろ、 と説いていますね。 どれがいいのかはヒトそれぞれなんでしょうけど、 しかしどうすることもできない 不幸なママのヒトが大多数であることが指摘されていますね (山田昌弘とか)。 でもまあ、いっしょに不幸になってくれるヒトが いっぱいるってことは嬉しいですよね。
あーなんか色々つながりました。 これで安心して眠れますぐー。
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帰ってきたら「その時歴史が動いた」日本海海戦がやっていました。 ナショナルニポーン戦史で最も輝かしい一瞬ですな。
世捨てコラム/社会 73 最初の男と最後の女にて、松任谷由実の歌詞をひいて
「男は最初の恋人になりたがり、女は最後の恋人になりたがるが、
統計学的にはむずかしい」と述べています。
が、ロマンティックラブシステムではそれが可能になりますね。
もちろん、男女とも最初かつ最後の恋人になるわけですが。
また
世の中のカップルが“経験豊富な男”と “うぶな女”の組み合わせばかりだとすると、 カップルになれない(ならない)男が大量に存在することが前提となる。 ならば男の方がうぶで“貞節”な人が多いと言わねばならない。
とありますが、出生動向基本調査によりますと、 交際相手の居る率を比較しますと トシゴロでは男性の方が10ポイント少ないのですよね。 この10ポイントの差がどこから出てきたのかは 出生動向基本調査からはわかりませんが、 まあ色々想像してみると鬱になります。
閑話休題。
昔々アブラハム・マスローというおじさんが居ました。 マスローおじさんは人間の要求に優先度があることを見て取り、 欲求を五つにレベル分けした欲求階層説というものを唱えました。
人間はまずレベル1をクリアすることを目指し、 レベル1をクリアすると次はレベル2を目指し、 次はレベル3、次はレベル4、と順番にレベルを上げていくのが普通、 というのがその主張です。
欲求の五つのレベルは以下のようになります。
例えば、 「僕には帰るところがあるんだ」 というのはレベル3を満足しているということになりますか。 新潟中越地震で仮設住宅暮らしを強いられている人達は レベル2が満足されていない、かなりヤヴァイ状態であると考えられます。 また、ニポーンでは「健康で文化的な生活」が憲法で保障されていますが、 しかし現状住宅が不足し、また今後も不足が解消される見込みが無いため、 ニポーンが保障してくれるのはレベル1に過ぎない、と言えます。 要するにヤンキーは健康で文化的ってことデスネ。 ニポーン型家族的企業がレベル1〜4あたりまでを請け負ってしまっていたため 公共がそれを満たす必要に迫られなかったのでしょうけどね。 しかしぐろうばるすたんだあどによって企業が掌を反してしまった現在、 代わりとなる欲求満足機構の無い社会全体が かなりヤヴァイ状態になっているのではないかと思うのですけどね。 ちなみに「寿限無」では 「食う寝るところ」(レベル1)と「住むところ」(レベル2)を分けています。 ここから、住職はマスローを知っていたのではないかと推測されます(嘘)。
承認ってゆうのは主にレベル4にあたると思います。
自分にしかできないことがある、社会で役に立っている、かけがえの無い存在だ、
と思えることが承認がある状態、
一方、自分は代替可能だ、単なる組織の歯車だ、居ても居なくてもいい存在だ、
と思えることが承認が無い状態といったところでしょうか。
マスローおじさんに従えば、
承認が問題になるのはレベル3以下が満足された
豊かで安定した社会であることが必要です。
ということは、レベル3以下を崩壊させれば承認の不足の問題は解決、
というか解消してしまうのではないでしょうかね。
ああ、それでテロルが流行したり、地震で住居を破壊したり、
リストラでホームレスを増やしたり、
イジめてヒキーを増やしたりしているのでしょうか。
これら一見不幸に見える出来事は、
実は謎の善意の組織の陰謀だったのですね。
なるほど、色々なことを考えるヒトも居るものですね。
でも最近はヤンキーが減ってきているそうですから
まだまだやることは多そうですね>謎の善意の組織。
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鬼嫁ブーム到来だそーですよ。
鬼嫁というと、相手を見る目が無い奴が悪いとか、
選ぶ余裕の無い負け組だったとか、
どうにも本人の過ちを指摘しがちだと思います。
でもそれだと、なんとも人生暗い感じですよね。
そこでちょっと視点を変えてみましょう。
鬼嫁は、
ツンデレ期待の大博打に敗北した成れの果て、
と考えるとちょっとイイ感じになるのではないでしょうか。
なりませんか、そうですか。
今朝の毎日新聞、 未来が見えますか、読者からの反響特集でした。 つらつら眺めていますと結構面白いです。
妻と仲良く協力し合って子育てしまーす、と言っているヒトが公務員だったり、 コドモに時間をとられるヒトの昇進が遅れるのは当然、 その損分は国家が負担すべき、と言っているヒトが会社経営者だったり、 オンナは身の程を知れ、 と言っているのが息子がケコーンできなくて困っている母親だったり、 正直だなお前ら、って感じですね。
現在の交際相手とケコーンできなさそうなので里親になろうかと考えている 20歳女性は、この晩婚化社会に信じ難い性急さですね。 「親や結婚相手、コドモより自分を優先する人たちは、結局子孫を残さない」 と言っているヒトに対しては、こういう回答ではどうでしょうか。 「俺は人間をやめるぞ!ジョジョーッ!!」 零細企業なので育休がとれない、とい指摘もありましたが、 正社員オンリーの労働力流動性の低い社会においては、 バッファの少ない規模の小さい企業で育休をとることは事実上不可能ですね。 しかし昨今は非正規不安定労働力が大量に発生し流動性が高まっています。 この状況で育休が作れないのは会社の規模の問題ではなく 単なる管理者の怠慢ですね。
でまあ結論としては、 どうしてコドモと何かとの二者択一をしなければならないのか、 という疑問が基本なんじゃないでしょうかね。 あと、少子化の結果で子育てに理解の少ないヒトが増え、 ますます子育てがし難くなる悪循環になるのでは、 という指摘については、ちょっと今まで気付いていなかったです。
第二部は今月下旬からだそーですよ。
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すごい久しぶりに洗車したりします。
最近めぐみタンハァハァ号(仮)のフロントから音がするので
とりあえずキャリパーを外してがしがし洗ってみるのです。
でも音は収まらなかったのでブレーキではなかったようです。
次に考えられるのは速度計のためのワイヤジョイントあたりでしょうか。
また今度にします。
あと、パッドは2mmを切ったくらいなので今年中に交換ですね。
ついでにスイングアームを洗うのです。
スイングアームの根本は
チェーンオイルが飛散したりタイヤが巻き込んだ泥をかぶったりで
もう何がなんだかってくらい汚れまくりです。
洗ったら500gくらい軽量化されるのです。
あと、スプロケットがドライブ、ドリブンともにかなり消耗しまくっていますね。
今年中に変えないといけませんかね。
2ストオイルが無くなったので買いに行くのです。
スーパーバイオ高っ。
でも環境のためなので仕方が無いのです。
ってゆうか、一番環境のためにいいのは
燃費が激悪く排気ガス出しまくりなKSR2に乗らないことなんですが、テヘ。
ブレーキパッドが二割引だったのでついでに買ってしまうのです。
へきるちん追加公演4/17(日)渋谷AX18時、
ちなみにファンクラブイベント同日同所16時。
四時間立ちっぱなしデスカ?
じじいにはちょっとツライですよへきるちん。
ツアーグッズも発表。
シャツは今まで2,500円だったのですけどね。
デフレに対抗しようとしているのでしょうか。
Tシャツ2種類(白)(黒) | 3,000円 |
リストバンド2種類(白)(黒) | 1,000円 |
携帯ストラップ2種類(白)(黒) | 1,500円 |
キーホルダー2種類(白)(黒) | 1,500円 |
スポーツタオル | 2,500円 |
「グレートエスケープ(前編)」
スポンサー契約がどんなんだか説明されていないので
わからないのですが、
それはそれと
こういう使い方はリスクも大きいような気がするのですが。
明日にでも宇宙の塵となるかもしれないのに。
お前ら単に服替えたかっただけなんじゃ。
イモビライザ義務付けられていのですかね、未来のクルマは。
まーシナ文化圏みたいだからそんなもんなのかも知れませんけど。
お前眼鏡っ娘好きですか、いい奴ですね。
それにしてもキャラ多過ぎで覚えられません。
「ああっひとつ屋根の下でっ」
いいなー森里君は、あんな声の可愛い彼女ができて。
まだ能登の出番があるのですねよかったよかった、
やはりこの役は良過ぎです。
来週はついにめぐみタンが。
「Vウォッチパニック!の巻」
絵が死んでいますね、珍しい。
「ケロロvs冬樹スポーツで激闘」
秋たん、水も滴るいい女。
「クルルvs秋侵略ロボで爆闘」
秋たんが活躍していますねー、
あー見続けていてよかったです。
それはそれと、
いつの間にか1000RRトリコに乗り換えていますね
(以前は600RR赤だったはず)。
編集者って儲かるんですねえ。
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今日は休みだし天気も良いのでどこかに行こうと思っていたのですが、 なんかもう全然起きられませんですた。 週に一度は12時間以上寝ないと生きていられない、みたいなー。
KSR2の速度計用のケーブルジョイントにグリスをつっこんだら とりあえず鳴りは収まりました。よかったよかった。 でももう真っ黒だったので、そのうちバラさないといけませんね。
WRC2004総集編DVDを買いに出たついでにトースターを衝動買い。 これで快適なパン食ライフが得られますヤター。 学生時は米食派だったのでトースターを買うのは初めてです。 なのでトースターがパンを焼く以外に何が出来るのかはよくわかんないです。 これから勉強します。 実はトーストもできる魚焼き機とどちらにするか すんごい悩みました。 いやほら、秋口になると秋刀魚が食べたい病に感染してしまいますので。 脂ののった焼きたての目黒の秋刀魚をほくほく突付きつつ酒を飲む幸せといったらもう。 よく考えると就職して以来ご無沙汰デスヨ。 そんなんでいいのか私の人生。 でもまあとりあえず今回は見送りました。 使っても年に1、2回のものに貴重な空間を使うのもどうだろうか、 というのと、 フィッシュロースターの廉い機種は排気口が上面についておりまして 部屋の掃除を怠ると あっとゆうまにフィルタがホコリで詰まりそうでしたから。 チョーぐうたらなのでメンテナンスコストがかかるのは勘弁ですね。 本当はその時サイフに4000円しか入っていなかったから というのはヒミツです。
へこへこコミケ申し込み書類を作ったりします。 なんか今回から携帯電話番号を書く欄が挿入されています。 あまりにも自宅への電話連絡がつかなかったのでしょうか、 大変ですね。 それにともない蘭がいくつか移動していますが、 しかし配置用データ記入例の説明(P11)は昔のままなので 頓珍漢な説明になってしまっていて笑えます。 私らのような年寄りなら慣れたものですが、 今回初めてのヒトとかは混乱するのではないでしょうかね。
HDレコーダの中を少し整理したりします。 これで昨年分は一掃したはずです。 げんりけんが川澄が出ている回だけが しっかり残っていたのには笑いました。 何やっているんでしょうか自分。
「消えた黄金仏」
いいですなあ川澄声の娘さんと旅行。
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今気が付きましたけど、
夏コミの申し込み、(4)には携帯番号を書いたら不備になるわけですよね。
ということは、携帯しか持っていない場合には払い込み票や短冊には
電話番号は記入されないということになります。
それって結構問題あるような気がしますが。
また、今回明らかになりましたが電話番号が自宅、携帯ともに無い場合には
不備になるみたいですね。
それって電話持っていないヒトはサークル参加できないということですかね。
電話債券だってタダではないのにね。
ダメオタ官僚日記2/6などによりますと 那州雪絵大先生の「間違いの恋」を見つけるのに苦労されたようですが、 私は探してすぐ買えました、運が良かっただけかもしれませんが。 しかしいまだ見つかっていないのが「魔法使いの娘(1)」。 二巻だけ手元にあってどうしろと。 やはり田舎の本屋では限界がありますね。 でもまー今手に入っても買っても読む時間がなくて 積読になるだけなんですが。 地球のみんな、オラに時間を分けてくれー。
大学院の授業の話が流行しているようなので私も。
まあなんというか、
大学院の講義から役に立つことを得ようとする態度については、
すごく真面目だなあ、と尊敬してしまいますね。
えー、それって役に立つものだったの?チョーウケルー、みたいな。
もっとも私の場合、
親の仕送りで御気楽極楽に暮らしていた
モラトリアム全開ダメ野郎だったので、
世の中の大学院生様と比べても仕方が無いのかもしれませんが。
私は大学院の講義を選択するにあたって、 何でもいいから単位揃えりゃいいんだろ、ああん? って態度で臨みました。 選ぶ基準は「面白そうかどうか」のみ。 小学校の夏休みの宿題で本を五冊読んできなさいと言われて、 漫画を五冊読んでくるようなもので、 当然ながら自分の専攻には まったく何の役にも立たないものばかりになってしまいました。 例えばメガフロートの作り方とか 宇宙ステーションから捨てたウンコの軌跡とか、 今まで一度も役立ったことは無いし、 多分死ぬまで役に立つことは無いであろうことを教わりました。 第一もう忘れていますから役に立てようが無いのですが、エヘ。
そんなわけなんで、 講義は楽しむもんであって役に立つものでは全然なかったです。 その上私は講義に限らず研究も全然しなかったですし、 さらには就職しても学校での専攻とは関係ない仕事してますから、 大学院から何も得られなくても結構生きていけるもんだなー、と思います。 もっとも、バカヒキ非モテでよければですけどね。 まあ私の人生無駄100%ですから、 大学院だけ取り出してどうこう言っても仕方が無いという 話もありますが。
しかしこの問題、 大学院の講義とはどうあるべきかとか どう受けるべきだとかいう話では無いと思うのですよね。 昔は選ばれたごくごく一部のエリートのみが進学できたのでしょうけど、 今は猫も杓子もヒキオタプーも親にそれなりの経済力さえあれば 誰でも大学院に行ける時代です。 ってゆうか、猫で杓子でヒキオタプーだから就職できないので 院進学というヒトもそれなりに居るみたいですし、 大学院側では学生数を増やすという目的から それを歓迎しているところもあると思います。 そんな有象無象の院生に対し、 従来のあり方だけが適当わけでもないし、 またひとつのやり方だけが適当なわけでもないと思うのです。 なのでこの問題は、 大学院の講義とはどのようなものか、 ということについて、事前の合意が形成されていない、 という点が問題なのだろうと思います。 要するに、大学院側は講義がどういうものかを事前に説明した方がいいし、 また院生側は講義で何をするのかを事前に確認した方がいいんじゃないの、 と、単にそういう話なんではないかと。
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なんか帰りに道の真ん中に原付が倒れていて パトカーがわんわん集まっていました。 コワイコワイヒー。
強度近視用眼鏡
ペガサスオンラインだそーですよ。
他にも
強度近視のメガネフレームとかも。
私は結構など近眼なんですが、
ど近眼だと好きなフレームを選べないんですよね。
例えばツーポイントなど、
これは眼鏡の境目を目立たなくさせるものですけど、
そもそもレンズが死ぬほど厚いので思いっきり目立ちまくりになります。
レンズの素材はプラスチックと硝子がありますが、
私くらいだと厚いプラスチックを使用することは事実上できません。
一方硝子はもろいのでナイロールやツーポイントなど
レンズに穴や溝を穿つ必要があるフレームは事実上選べません。
それ以前に、分厚いレンズを入れたらどんないいフレームも
たいがいデザインが台無しです。
例えば現在
LESS THAN HUMANのP06P010が激しくホスィのですが、
こんなんに厚さ1cmもあるレンズを入れたら
はっきりいってデザインに対する冒涜です。
もうどうしたらいいんでしょうかね。
でか乳の女性のヒトが可愛い乳あてが無いと
嘆く気持ちが少しわからないでもないですが、
でもでか乳にはそれなりの需要がありますけど
ど近眼にはあんまし需要が無いですからねえ。
でもまあ、仮に好きにフレームを選べるとしても、
フレームにはあんまし種類が無いのですよね。
あるところ行けばあるのでしょうけど、
眼鏡は一応視力矯正のための医療器具ですから(*1)、
すぐに行ける距離にあるお店以外から買うと後が大変です。
ましてや通販をや。
私の知り合いには、眼鏡は韓国旅行のついでに買う(*2)という
リッチなんだかセコイんだかよくわからない奴も居ますが、
それでもフィッティングはやってくれるわけだから
使い捨てと考えれば通販よりはマシでしょうかね。
眼鏡屋さんにフレーム持込で
レンズ入れとフィッティングだけやってもらえればいいのですけど。
どうしていますか、眼鏡のヒト?
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(*1)眼鏡豆知識:交通事故で眼鏡を破損した場合、 物損ではなく自賠責でまかなうことができます。
(*2)眼鏡豆知識:韓国は眼鏡がえらい廉いらしいです。
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偉大なる部長様伝説糸冬了、&再開。笑。
双恋が来たので閉鎖しますマックスハー 2005/1/20によりますと、 「小林容疑者の異常性、携帯電話の着信音、10歳くらいの少女の声」 と報道されたのは水谷優子とのこと。水谷ファンですか、いいヒトですね。 そういえば最近全然水谷聞いていないような気が。 最後は魔法遣いに大切なことだったような。
リアルボクっ娘と思いきや実は性同一性障害。 世の中色々大変ですね。
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明日から連休ですね、世の中的には。
ネタも無いので最近読んだ漫画の積書処理。っていつ出たのだこれ。
へっぽこさは相変わらず。 何の生産性もないあたりが素敵。 なんか次からは東京編だそーですよ。
予備校生がひたすら駄目生活を楽しむ話かと思ったら、 ちょっと進展がありました。 多分、少年とバイクをめぐる70〜80年代くらいの話を 舞台をSFちっくにして繰り返しているのだと思うのですけど、 そんな昔のこと知らないのでなんともよくわからないです。
この作品にもやっとレギュラー眼鏡っ娘が、 乳が控えめだったら嬉しいのですけど。 住吉妹は全然出てきてくれませんしねえ。
婦警強過ぎ。 アンデルセンがハインケルに 束になっても相手にならないと言っていますし、 アンデルセンもやればできる子マクスウェルに 反感をもっているようですし、 どう見てもバチカン側の駒が足りないような気がしますが。 まあカミサマがついているからどうにでもなるとは思いますけど。
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えっほえっほと山を下りて買い出しに行きます。
故あってはるばる池袋のジュンク堂までいってみます。
初めて入りますが、いいトコロですねえ。
特に会計が一階に集中しているのは大変よろしいです。
他のマルチフロア本屋さんでは
文庫フロアの会計が長蛇の列なのに
理工学フロアの会計がガラガラで店員ヒマそうだったりして、
もっと理工学書買えよ、とか思ってしまいますが、
ここだとそういうことはありませんね。
しかし一点、どうしようもなく悪いところもありますね。
フロア間の移動が自由なために、
ついでにこっちも見て行こうか、
とかやっているうちにカゴの中がスゴイことに。
何者かの陰謀じゃよー。
家計といえば、最近妙に家計が苦しいなあ、 と感じていたのですよ。 もちろんワインとチーズにより 食費が高騰していたことは把握しているのですが、 それよりもちょっと苦しい感じです。 とゆうわけで家計簿を見直してみたら、 なんか先月の書籍代が通常の倍以上になっていました。 ううん、一体何を買ったんでしょうか、自分。 全然記憶に無いです。
ついでに主な娯楽費を調べてみました。 すごいですねえ、100万/年以上も娯楽に費やしているのですね。 道理でいつまでも貯金が無いはずです。 これでは世のお父さん並みの 月2万のおこづかいでは生きていけませんね。 しかし、 ゲームや本の処理量は明らかに減っているはずなのに 毎年出費が安定しているのが不思議です。 どこに消えているのでしょうか。
二輪車/旅行 | 60万/年 |
書籍 | 25万/年 |
へきる関係 | 10万/年 |
ゲーム/CD/DVD | 10万/年 |
同人誌 | 3万/年 |
「グレートエスケープ(後編)」
ここまでパンツ不可なのもどうかと。
川澄台詞多くて嬉しいですね。
「ああっ掘り出し物に恵ありっ?」
めぐみタンハァハァ。
自分的にはめぐみタンと一緒に住みたいです。
六畳二間バストイレ別キッチン付日当たり良好東南角
駅から徒歩十分以内築五年以下で家賃15000円以下って、
北海道の相場ってそんなもんなんですか?
そういえば昔、
安アパートに入ったら地縛霊が女の子でねんごろになってハッピー
というようなエロ漫画を読んだ記憶が。
それにしてもクオリティが崩壊していますね。
何もめぐみタンの回に崩壊しなくても.......orz。
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日記のタイトルとか考えるときに (1)覚えやすい、(2)他に使用されていない、 の二点を考慮したんですよ。 そんで現在ぐぐってみると 「十日菊」で1位、「ともも」で5〜60位、「六菖」で1位になっていますね。 とりあえず(2)他に使用されていない、 という点では結構いいとこいったのではないでしょうか、 と自画自賛してみるテスト。 ちなみに(1)覚えやすい、については サルでも覚えられるようにしたつもりなんですが。 サルが人間の節句を知っているかどうかはよくわかりませんが。
昨日のTV東京のラリー撮りはぐりました死亡。
「顔をあげて歩こう!の巻」
なんか不思議な話していますね。
モトネタ知らないからかも知れませんけど。
「ケロロ愛のいきなりだんご」
モア体操服+エプロンはエロいですね。
そういえば食べたことありませんいきなり団子。
「夏美&桃華V作戦発動!」
夏美モテモテですか、いいですねえ。
どうでもいいんですけど熊本観光協会から何かもらっていますか。
EDがタママになっていますね。
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突然、祖母が亡くなったとの連絡が来たので おっとり刀でおっとりおっとり駆けつけるのです。 新幹線が激混みで喫煙席しかとれませんでした。 以前某氏が旅行時に禁煙席がとれず ガスマスクを装着して喫煙席に乗ったことがあるそうですが、 たいへんよく気持ちがわかります。 すべての国民にガスマスクを。
雪のざばざば降る田舎について式次第の確認をします。
うちは曹洞宗なんですが、
なんかこっちではいわゆる通夜も告別式も無いそうで吃驚します。
通夜も告別式も無ければヒトがぞろぞろ集まるのは何なのか、
というか、火葬と葬儀になるそうです。
火葬場に近所のヒトとかがぞろぞろやってきて、
炉に入るのをみんなで見守ります。
焼きあがったらお寺に移動して葬儀になります。
お寺にも近所のヒトとかがぞろぞろやってきて、
お骨を前に坊さんがほんがほんがするのをみんなで見守ります。
香典は主に葬儀時に出します。
火葬時に出してもいいですが、
両方に出るヒトは葬儀時に出します。
それ以外のイベントは身内だけで行います。
でまあ、どういう葬儀にするのか考えるのですが、 どのコースを選ぶのかを決めるだけで 葬儀屋さんがほとんど全部やってくれるのですね。 便利な世の中です。 私の田舎は昔はかなり羽振りがよかったそうで、 ここのところずっと院号をつけているそうです。 なので祖母だけつけないわけない訳にはいかないだろう、 ということでお寺さんへの支払いは結構な額に。 自分の問題なら見栄などはらないのでしょうけど、 故人のことなのでどうしても財布の紐が緩くなりますね。
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今日は納棺です。 ばさまに経帷子を着せて棺桶に入れるのですが、 家の作りが古く廊下が狭いので持ち込むのに苦労します。 でもうちはまだ楽な方で、 アパートの上階とかはかなり大変なんだそうです。
葬儀屋さんと打ち合わせをします。 喪主である私の親が話をするのですが、 これが自分の部下だったら 乱暴な私でも間違いなく張ったおす迷走ぶりです。 一応言い訳しておきますけれど、 私は昨夜のうちに、決めることをリストアップさせ、 リストアップされたすべての項目についての意思決定を済まさせ、 打ち合わせ時には確認だけで済むようにしておきました。 それなのに、その場でまた迷いだしたり、 リストアップされていない項目がぼろぼろ出てきたり、 はては葬儀屋さんとは何の関係もない話が展開されたりします。 時間に押されている時に何をやっているのでしょうかね。と思う一方、 こういうヒトを相手にしなければならない葬儀屋さんも大変だなあ、と同情。
親戚がぞろぞろ集まってくるのです。 うちの田舎は少し前まで旅館をやっていたので 部屋だけは十分にあるのですが、 これがフツーの家だったら大変なんだろうなあ、と思います。 実は今日から雪祭りが始まりまして、 市内の宿泊施設は超かきいれ時、ほとんど開いていないのだそうです。
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出棺、火葬、葬儀。 受付と雑用に一日明け暮れます。 しかしばっすんばっすん雪が積もっているので、 来るヒトの半分くらいが礼服にゴム長です。 やはりスパイク付きのゴム長サイキョーですね、色も黒いし。
どうにか葬儀も終了。 親戚をほっておいて雪祭り見物に出かけるのです。 実は私、生まれてこの方一度も雪祭りを見たことが無いのですよ。 というのは、フツーこの時期に帰省することなんてありませんから。 あるいはこの時期に死期を選んだのは 祖母の最後の粋な計らいだったのかも知れません。
雪祭りについては後日掲載予定。
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朝から香典を勘定します。 しかし何ですね、 香典は薄墨で書くことになっているそうですが、それ止めましょうよ。 外袋は薄墨で書こうが何で書こうがかまいませんけど、 せめて内袋の住所氏名は ボールペンを使って楷書で書くことにしませんか。
一段落したので新幹線でぴゅーっと帰るのです。 フツー、奥羽山脈以東は天候が穏やかなもんなんですが、 今日は太平洋側にもざばざば降っていましたね。 宇都宮あたりまで真っ白。 高速のICがオール赤になっているのが見えましたが、 車で帰った親戚は無事たどり着けたのでしょうかね。
そんなわけで慌しく祖母の葬儀が終了しました。 この後三七日(みなのか:21日間)に仏送りを行って 骨をお寺さんに移すことになります。 しかし雪がスゴく墓に近づくことが不可能であるため、 実際に墓に入るのは雪解け後になるのだそうです。 ちなみに三七日が採用されているのは葬儀屋さんのレンタル期間の都合で、 本来は四十九日が正しいのだそうです。 まあ、あんまし長くても大変でしょうから良いのでしょうけど。
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メディア規制条項凍結、 「規制凍結はまやかし」 人権擁護法案で反対集会。 凍結するんだったら最初から書かなければいいのにね。 紙とインクの無駄だよね。 人権委員会を法務省に設置というのもアフォ丸出しでいいよね。
感想。
しかし何ですね。あまりにもばたばた忙しくて 正直喪主とその周辺は悲しむヒマもありませんでしたね。 お金もかかりますし。 一番葬儀をエンジョイ(ensorrow?)できるのは お客さん扱いのちょい遠親戚あたりなのではないかと思います。 もっとも忙殺することでウトゥに沈むことを 妨げる効用があるのではないかと思うのですけれども。
祖母は旅館に嫁いできて以来ずっと働きづめでした。 働きづめといっても旅館を盛り立てていこうとしていたわけではなく、 昔からとまったく同じ手順を毎日繰り返しているだけだったのですけど。 典型的な思考停止保守老人的挙動ですね。 娯楽らしい娯楽もなく、 炬燵にごろんと横になってテレビをぼーっと眺めるのが 唯一の楽しみの様子でした。 私は消費社会に頭の先までどっぷり浸かっているダメ人間ですので、 祖母の生き方は正直理解が難しいです。 無理やりに私の理解できるように解釈すればそれは、 娯楽をヒトに託した人生、 と言えるのではないか、と思っています。 自分自身が楽しむではなく、 感覚を自分以外まで拡張し、 自分以外の楽しみを通して間接的に楽しむ、 そういう生き方だったのではないだろうか、 そんなことを考えています。 もっとも今となっては確認のしようがありませんが。
祖母が亡くなったことに、実はあまり悲しみはありません。
前述のように忙しかったこともありますが、
それよりも
私の中で祖母は既に死んでいたことが大きいと思います。
祖母はボケが相当に進んでいました。
最初は私のことを覚えていないという程度だったのですが、
最期にはコミニケーションはおろか
意思や知性があるとはとても思えない状態でした。
ヒトの顔があると
そっちの方に視線を向けるくらいの動作はしますが、
話しかけても触れても反応が無く、
ゲル状の栄養物を胃に流し込まれては
ウンコに変換するばかりでした。
このような状態が人間として生きていると言えるのでしょうか、
生きていることは素晴らしいことだと言えるのでしょうか、と考えたとき、
どうしても私には強く肯定することができませんでした。
生きているということはどういうことでしょうか。
多分、感情移入が出来る、ということが生きている条件なのではないかと、
そう思いました。すなわち、
自分の立場と相手の立場を交換した場合を想像することができる、
ということこそが、生きていることなのではないでしょうか。
犬猫でもフィギュアでも立場を交換することを想像できれば、
それを生きていると感じることが出来ると思うのです。
しかるに、目の前にあるじっと天井を見つめたまま
介護ベッドに横たわっているモノと、
立場を交換することを想像できるのでしょうか。
これにYESと答えられなかったとき、
それは祖母ではなく、
かつて祖母であったモノ、になったのだと思います。
その認識に至ったとき、空虚さを感じたのを記憶しています。
それが私にとっての祖母の死であって、
今回の生物的な死は
いつかは発生することが決まっていたイベントが
たまたま発生しただけに過ぎませんでした。
上記の私の感想ですが、 しかしこれは危険な考え方でもありますね。 ある生とある生を比較して優劣をつけてしまう可能性が、 ここにはあると思います。 例えば、白痴者の生は哲人の生よりも劣っている、 と感じてしまったり、 日本人の生は三国人の生よりも重要である、 と思ってしまうことと、 上記は親和性が良いように思います。 これは多分に想像力の欠如と現実直視の回避に起因するものですね。 このような問題に対してどう答えていくかについては、 今のところノーアイディアです。 まあ、次に死人が出るまでの間に何か考えておきたいものです。
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男性諸君!あなたには… 〜結婚力アリマスカ?〜だそーですよ。 独身男性の未婚志向をレポートしているのですが、 (1)子育ての喜びを知らないからケコーンしない説、 (2)経済的理由説、 (3)職場という最大ケコーン市場における出会いの減少説、 (4)非モテ増加説、が紹介されています。
(1)子育ての喜びを知らない、というのは眉唾ものだと思いませんか。 みんな子供が大好きだと思うのですけどね。 私達の世代ロリペド野郎はいっぱいいますし、 それにプリメで子育てに目覚めたヒトもいっぱいいるはずですよね。
(2)経済的理由説は、そりゃあどうしようも無いですよねえ。
先立つものが無ければ何もできないのは当然ですよ。
これからはフツーのヒトの年収が300万になる時代ですよ。
それで妻子を養えるわけが無いじゃないですか。
自分ひとり生存するので精一杯ですよ。
大体、少子化を問題視しているのが誰かを考えてみてくださいよ。
少子化問題を叫んでいるのは例外なくカネモチですよ、社会のエリイトですよ。
ヤツラは子供が減ること自体を問題視しているんじゃないのですよ。
ヤツラにとって問題なのは、搾取するビンボー人が減ることなんですよ。
それが証拠にヤツラは、少子化が問題だったら
経済力に応じて大量にコドモを作ればいいはずなのに、
そうする気配は微塵もありませんよね。
貴方の家の五倍の収入がある家はコドモの数も五倍ですか?
違いますよね、もっと少ないですよね。そういうことなんですよ。
社会全体の利益を提言しているように見せながら、
実はその裏で私欲を満足させるのが、ヤツラのやり方なのです。
口当たりのいい言葉に踊らされているようでは馬鹿を見ますよ。
少子化の罪をコドモを産まないビンボー人に押し付けようというのは
大いなる詭弁と言う他ありません。
ビンボー人は少子化が進もうが何しようが知ったことではなくて
明日の食い扶持を考えることで精一杯なんですよ。
(3)職場での出会い減少については、 そもそも職場での出会いってのが何なんだかよくわからないのでなんともいえません。 昔は職場に結婚相手がごろごろ転がっていたのでしょうか? それって職場なんですか本当に? てゆうかそれって、収入に恵まれたモテモテな職場だけの話なんじゃないですか? 万人に適用される状況とは思えないのですけどね。
(4)非モテ増加説は、もし本当なら私の仲間が増えているってことですね、 ヤッター! これによりますと婚情報サービス費用は 40〜50万円/2年で成婚率は業界全体で推定7〜8%とのことです。 14人にひとりしかくぐれない門のために50万も出す気が知れません。 そんな博打に出るよりだったら ギャルアニメのDVD-BOXを買ってハァハァしている方が ずっと健全なのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
ここで紹介されていた「花婿学校」 理事長の説によりますと 2005年は「男性版負け犬」が注目されるのだそうですよ。 ついに私の時代がやってきましたネ! やったね!
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色々と処理。
先輩宅にお邪魔したら、 9ヶ月のコドモさんがもう立っていましたヨ! 自分の甥っ子は13ヶ月で やっとハイハイが出来るようになったばかりだというのに! ムキー。
重野さんに教えていただきました 「少子化時代の結婚産業の在り方に関する研究会」だそーですよ。 経済産業省単体のようですが、厚生労働省は何か言ってこないのでしょうかね。
発表資料を読んでみました。 よくわかんないのですが、ムリヤリにでも 「少子」ってつけた方が予算通りやすくなるのでしょうかね。 というのは、 タイトル以外の本文中に「少子」という言葉が出てくるのはたった三回だけで、 かつ研究会のスコープからはだいぶ外れるからです。 具体的には 「少子化については〜国民の問題意識も高まっている」 「しかし、少子化の一因とも考えられる「晩婚化」、「未婚化」に関して〜」 「未婚化・晩婚化が少子化に与えるインパクトや未婚化・晩婚化の要因について〜」 の三ヶ所になります。 これだったら研究会の名称はむしろ 「晩婚化、未婚化時代の結婚産業の在り方に関する研究会」 にするべきではないかと思うのですが。
あと気になったのが、 「結婚産業について、その活性化に向けた方策を総合的に検討する」 って文言ですね。 結婚産業の活性化というのは 社会のあり方を一方向に限定することにはなりませんでしょうか。 というのは、 結婚産業を活性化しない社会のあり方というのも考えられるからです。 例えば、自由恋愛プレッシャーの強い社会、 シングルでも子育てができる社会、 国家や集団が生殖育児を担当する社会、などです。 きちんと調べてはいませんが、前二者は既に存在していますね。 後者は火の鳥2772や復活の日などで描かれていますし、 近代以前の日本の地域共同体もこんなんだったんじゃないかと思います。 こういう世の中もアリなのに対し、 結婚産業の活性化を目指すということは その選択肢を狭めてしまうことになるのではないかと、 そう思うのですけどね。 もちろん業界が自分達の活性化を目論む分には何の問題も無いのですが、 それが行政により税金を使って行われるのはどうなんだろう、 という気がします。 また、本当に少子化が問題であれば、結婚コストを下げ、 その一環として結婚産業に入るカネを減らし、 その分を育児コストにまわす、というやり方も検討可能なはずです。 そういう意味でも「少子」自体が スコープに入っていないということがわかりますね。
あと、「率直かつ自由な意見交換を確保する必要があること等から、 一般の傍聴は認めない、資料及び議事録は公開しない」 ってのはどうなんでしょうかね。 研究会ってそういうものなのでしょうか。 税金を使って行われる研究会の成果を納税者が知ることが出来ず、 恣意的に選ばれた一部の委員のみに独占される、 というのは問題あるのではないかと思うのですが。 一応議事要旨は公開されることになっていますけど、 どこまで要旨にもりこまれるかは勝手に決められてしまうわけですし。
とか思うのはケコーン市場から疎外された非モテのヒガミですか、 そうですか。
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色々と処理。 なんかこの分だと三月一杯何も出来なさそうなヨカーン。 今年4時間しかやってないよドラクエ。 アニメも溜まっているし。 ってゆうか眠いよ母ちゃん。
とりあえず 横手雪祭。
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明日が早いので早めに帰ってきたら サルヂエに高木美保が出ていたので最後まで見てしまうのです。 何やってるんでしょう自分。 もう寝ます。
ちなみに私は伊達は許容します。 もちろんどっちかってゆえば伊達ではない方がいいですけど、 しかし眼鏡をかけているという事実に比べれば小さな違いです。 とはいえ、伊達であるかどうかを明確に区別することは 大切ではないかと思います。 泉質に全然興味の無い温泉客が大半だからといって 水道水と温泉とを区別しなくて良いわけではないように。 というか、メディアに露出している眼鏡っ娘は伊達多過ぎだと思います。 もっと世の中は真性を尊重すべきではないかと思います。
眼鏡はとにかくビジュアルが重要なのですよ。 ですから実際に眼鏡をかけているかどうかよりも内心を重視する 心の眼鏡っ娘主義はとうてい受け入れることができません。 そこに眼鏡が存在しない場合、 何が彼らの「心の眼鏡っ娘」を担保しているのでしょうか? というか、そのシンボライズされているものを 「心の眼鏡っ娘」属性と呼ぶ必要というものが どこから発生しているというのでしょうか? と考えた場合、心の眼鏡っ娘主義というものは 何か他のモノを眼鏡に投影している砂上の楼閣であるとしか思えません。 これは眼鏡を「利用」しているのであって、 眼鏡に対する崇拝とは見なせません。
とはいえ、眼鏡をかけていれば何でもいいという 眼鏡絶対主義でもありません。 私の立場は、いわば眼鏡ブースター主義です。 簡単に言えば、眼鏡をかけると魅力倍増、という考え方です。 ですから例えば、 リアル眼鏡っ娘はリアル非眼鏡っ娘よりも魅力的です。 しかしそれはリアル界での比較であって、 リアル眼鏡っ娘がアニメキャラ非眼鏡っ娘よりも魅力的 ということはありえないのです。 これは、リアル娘とアニメキャラとの基本魅力の差が 倍どころの話ではないことから明らかです。 これが眼鏡絶対主義の場合、 リアル眼鏡っ娘はアニメキャラ非眼鏡っ娘よりも魅力的であることが 肯定されます。 そのリスペクトっぷりは感嘆を禁じえませんが、 しかし私には理解し難い感覚ではあります。 とはいえ、リアル娘であれアニメキャラであれ、 眼鏡をかけないよりはかけた方が望ましいわけですから、 すなわち全ての女性が眼鏡をかける世界の実現が目的である点に関しては 眼鏡絶対主義と共闘することが可能です。 ともに理想の世界を目指しましょう!>絶対主義者さん。
とか書いている暇があったら寝た方がいいですか、そうですか。 おやすみなさい。
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お茶にお湯を注いで四分待とうとして本を読み出したら 気が付くと一時間経過していたことってありますか? 私はありませんでした、昨日まで。 でもヌルイだけで飲めますよ普通に。
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先日書いたことに 心の眼鏡っ娘主義者である いちせさんに反応が。 楽しみ楽しみ。
まとめておきますと、 心の眼鏡っ娘主義者の問題は、 眼鏡をリスペクトしていると言えるのか、 という点にあります。 すなわち、眼鏡っ娘的なものとされる属性は 本当に眼鏡に起因するものなのであろうか、 言い換えれば、眼鏡はただの媒介変数に過ぎないのではないだろうか、 という疑問に対し有効に回答することが出来ないのではないか、 と私は思っています。 「それって別に眼鏡である必要が無いじゃん/ 別に眼鏡と関連付ける必要が無いじゃん」 簡単に言えばそういうことです。
ついでに、心の眼鏡っ娘主義について 書いておきたいことがあります。
ここを読んでいらっしゃる方々はご存知のことと思いますが、 眼鏡っ娘主義者の「聖典」と呼ばれている 西川魯介「屈折リーベ」という漫画作品が存在します。 これは眼鏡絶対主義者であった主人公が 心の眼鏡っ娘主義者に転向する話と解釈され、 心の眼鏡っ娘主義の正統性の主張に用いられることがあります。 しかし結論から言えば、これは誤った解釈と言わざるを得ません。
「屈折リーベ」は眼鏡っ娘主義者にとって 極めて重大な問題を提起しています。 それは、眼鏡を外したあの娘は一体何者であるか、という問題です。 リアル眼鏡っ娘である以上は一生眼鏡を外さないわけにはいきません。 目薬を注す場合には眼鏡を外さざるを得ませんし、 眼鏡をかけたまま寝ると結構困ったことになったりもします。 ねんごろになればいつかは 眼鏡をかけていない彼女と対面することになります。 その時、眼鏡っ娘と人格が連続したその娘に対し、 眼鏡っ娘主義者はどのように振舞えばよいのでしょうか。 これは、女の子と交際する機会もあるであろう フツメン以上の眼鏡っ娘主義者にとっては いつかは通過しなければならない重大問題であることは明らかです。
この問題に対し西川魯介は、 眼鏡っ娘だから好きになったのではなく、 好きになった娘が眼鏡っ娘だった、 という結論でもって解決を図っています。 これはすなわち、 眼鏡っ娘としての属性は 眼鏡を外した状態にまで拡張可能である、 という認識であり、 眼鏡っ娘と「眼鏡を外したあの娘」との連続性が これによって確保されることになる、と説かれています。 この「聖典」解釈が 後の心の眼鏡っ子理論の中心を支えることになります。
しかし私はこの考え方には首肯することができません。 眼鏡っ娘だから好きになったのではなく、 好きになった娘が眼鏡っ娘だった、 という結論は因果の転倒であり、 この時点で眼鏡の必然性、根源性が失われているのは明らかです。 この時主人公は非眼鏡っ娘主義者に堕落したのだ、 とするのが私の認識です。 カノージョが居ない間は眼鏡に執着していると自認していたが、 しかしカノージョが出来た途端に執着を失ってしまい、 なんだ結局はカノージョが欲しかっただけなんじゃないか、 というのがこの物語なのです。 ここでは心の眼鏡っ娘主義者の想定する 眼鏡っ娘的属性などは微塵も存在しません。 カノージョができれば一発逆転オールオッケーという 頭の悪い恋愛主義者が居るだけです。 心の眼鏡っ娘という概念でもって堕落を正当化している、 それが心の眼鏡っ娘理論の信奉者(の一部)なのです。
それでは西川魯介は 「屈折リーベ」で眼鏡っ娘主義の無力を 主張したかったのでしょうか?
いいえ、私はそうは思いません。 これはやはり眼鏡っ娘主義の「聖典」なのです。
旧約聖書を知らない方はいらっしゃらないかと思います。 読まれたことがある方はご存知のように、 旧約聖書にはこれでもかと堕落話が一杯詰まっています。 様々な堕落を扱っている旧約聖書は 信仰の無力を説いているのでしょうか。違いますね。 堕落を扱ったからといって 旧約聖書が神の権威を汚しているわけではありません。 ヒトとはどれほど堕落しやすい存在であるかを描くことで 信仰を強く浮き出させ、間接的に神の力を示しているのです。
「屈折リーベ」も同様です。 眼鏡っ娘主義者の道はそれほども険しく、 非眼鏡っ娘主義者として堕落した人生を送る方が遥かに楽なのが現実です。 しかしだからこそ、艱難辛苦の向こうに続く 眼鏡っ娘主義の道が輝いて見えるのです。 クオヴァディスを耐え抜き困難を乗り越えて眼鏡の楽園を求める、 それが神に選ばれた眼鏡っ娘主義者に課せられた使命なのです。 これこそ西川魯介が「聖典」で示そうとしたことなのです。
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今日帰ろうとしたら、ざばざば降っていましたよ!雪が! ナンダヨー雨ってゆっていたじゃんかよ天気予報。 雪なら雪って言えよ。 すでに終電も無くなっていたので 仕方が無く原付でざばざば雪の中を帰ります。 しかしシールドに雪がだぼだぼくっつくので視界が死ぬる程悪いです。 しかも真っ暗な山道です。 歩行者が横断していても絶対わからないですよ、ノーブレーキで特攻ですよ。 どうにか走れなくなる程積もる前に住処に辿り着くことが出来ましたが、 あと30分遅かったら途方に暮れるところでした。 今は丁度寝袋を職場から引き上げていたところでしたから。 しかしこれだけ積もってしまったら、 明日の朝どうやって職場まで行けばいいのでしょうか......。
眼鏡っ娘主義についてちょこちょこ書きましたが、 ここで一旦眼鏡っ娘主義の発展史についてまとめておきましょう。
7〜80年代は眼鏡の暗黒時代でした。 当時眼鏡は醜女のシムボルと考えられていたことは おっさんなら皆ご存知のことと思います。 めがねのままのきみがすき 〜恋愛少女マンガの思想と構造 では柳沢きみお「翔んだカップル」を「諸悪の根元」としていますが、 私には検証できません。 しかし暗黒時代の中にあっても眼鏡っ娘は存在した筈ですし、 また眼鏡っ娘を魅力的に感じる野郎も居た筈です。 そういう野郎の大部分は多分、 魅力的な娘さんがたまたま眼鏡をかけていた、 という認識でいたのだと思います。
そのような野郎の中に、 それがたまたまではなく必然ではないかと考える者が出てきます。 これにはふたつの場合があると考えています。 ひとつには 「眼鏡=醜女」という暗黒神話を明確に自覚していた場合です。 この場合、目の前の魅力的な眼鏡っ娘と暗黒神話との 整合をつける必要が生まれ、ここから思索が始まります。 もうひとつには、 暗黒神話そのものが持っていたイメージによるものです。 眼鏡が劣位の象徴であるという前提のもと 劣位自体が魅力に転化する場合があります。 ドジっ娘は現在、一大ジャンルを成すまでに成長していますが、 この流れの上にあるものだと思います。 この魅力を説明しようとした場合、 魅力の源泉について考えてゆくことになるでしょう。 これらの結果、幾人かは「眼鏡」というものを 「発見」するに至ったのだと思います。
どちらにせよ、暗黒神話に自覚的であることが前提にあると思います。 眼鏡暗黒時代を批判することは容易いことですが、 しかしそれだけでは大切なことを見落とすことになる思います。 バビロン虜囚があってユダヤ教が成立したように、 絶対王政があって民主主義が成立したように、 暗黒時代も眼鏡っ娘主義の成立に 必要な条件であったと私は考えています。
「眼鏡」を「発見」した者にとって 世界は眼鏡っ娘と非眼鏡っ娘に二分されており、 この意味で彼らは例外なく眼鏡絶対主義者であると言えます。 この世界では眼鏡の有無だけを考えればよいことになりますが、 しかしこの考え方は早晩壁に突き当たります。 実は現実はもっと複雑であり、 単純な二元論でとらえるのは難しいことが解ってくるからです。
眼鏡絶対主義の壁とは何でしょうか。 それは主にふたつあると思います。 ひとつは昨日も書きましたように、 眼鏡を外した彼女は何者なのだろうか、という問いです。 眼鏡っ娘といえども一生眼鏡を外さずに過ごすわけではありませんから、 この問題に出会うのは時間の問題です。 もうひとつは、眼鏡っ娘ではない娘にも魅力を感じる場合です。 色々な娘さんを見ていれば、 (一般的な)娘さんの魅力を 単に眼鏡というひとつの象徴に帰することが難しくなることが、 しばしば発生することになるでしょう。 この際には娘さんの魅力とは何か、 ということについて再考が求められます。 このような事態に至り、 単純な二元論的眼鏡絶対主義は揺らいでしまいます。
ご存知の通り西川魯介「屈折リーベ」では 上記二点について問題提起がなされています。 この慧眼はまさに天才のものと言えましょう。 残念ながらその解決として示されたものは陳腐ではありますが、 しかし西川魯介の栄光を陰らせる程のものではありません。 「屈折リーベ」が「聖典」と崇められる所以です。
眼鏡絶対主義が揺らいだとき、 それでは眼鏡っ娘主義者はどうしたものなのでしょうか。 これには私の知る限り、よっつの対応があります。
ひとつは眼鏡絶対主義を貫くものです。 ただしそれは単純な二元論的眼鏡絶対主義とは変質しています。 単純な二元世界を実力で実現しようとする実践的眼鏡絶対主義、 現実を直視することを回避する逃避的眼鏡絶対主義、 自分の内部に眼鏡っ娘のイデアを形成する観念的眼鏡絶対主義、 などが考えられます。
もうひとつにはリスペクトの対象を眼鏡それ自体ではなく、 眼鏡的な観念に求めるものです。 これが心の眼鏡っ娘主義です。 眼鏡という実体があるのではなく眼鏡に象徴される何かがあって、 それが魅力の源泉である、とする考え方です。 これは眼鏡という実体から自由になるために 娘さんの魅力についての考え方に制約が少なく、 広く受け入れられやすいのが特徴です。
みっつめには、 眼鏡っ娘の魅力の第一の源泉を娘さん本人にあるとするものです。 これが眼鏡ブースター主義です。 娘さんの人格の連続性の確保がもっとも重要であり、 眼鏡といえどもそれを犯すことはできない、とする考え方です。 眼鏡を第一の原泉ではなく補助的なものととらえることで 現実との整合を図っています。
最期には、非眼鏡っ娘主義者に堕落するものです。 これについては説明は不要でしょう。
当然それぞれに批判があります。 眼鏡絶対主義者はしばしば盲目的、狂信的、現実逃避的になりがちで、 頭の悪いウヨウヨやサヨサヨに対するものと同様の批判を受けます。 心の眼鏡っ娘主義については、 私が先日から述べていますように、 それが眼鏡である必然性はあるのか、 という批判がありますし、 また心の眼鏡っ娘主義者同士でも 前提共有が難しい場合が在る、という問題もあります。 眼鏡ブースター主義にももちろん批判はありまして、 眼鏡っ娘の「眼鏡」よりも「娘」を重視するのは 眼鏡っ娘主義と呼んでよいのか、 また、残された「っ」の立場はどうなるのか、 といった問題が指摘されています。
このように、 心の眼鏡っ娘主義と眼鏡ブースター主義は 西川魯介の提起した問題への解答として発生し、 袂を分かった双子であると言えます。 それぞれの立場が異なるので議論をしても平行線であることは ほぼ間違いないのですが、 それでも何か言いたくなるのが人情ってもんですよね。
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朝起きたらすんげい雪積もっていました。 これでは原付はムリだ、と判断して徒歩で山を下りるのです。 でも、下界では雪がほとんど残っていませんでした。 これだから山の中は。
心の眼鏡っ娘主義者 いちせさんより応答いただきました。
心の眼鏡っ娘主義においては、 真の眼鏡っ娘はいついかなるときも(物理的に眼鏡を外している時も) 「心の眼鏡」をかけている、 という認識についてはご指摘の通り、 私の説明が不足しておりました。 お詫び申し上げます。
ここで問題になりますのは 「真の眼鏡っ娘」とは何か、という点であると思います。 私の認識では心の眼鏡っ娘主義においては 世界をみっつに分類しています。すなわち
私の認識は合っていますでしょうか。 合っているとして話を進めますが、 では上記分類は一般的かつ客観的とされる分類
とはどのように境界線が重なるのでしょうか。 これが、境界線がまったく重ならない、 または、重ならなくてもかまわない、 とする点がまさに心の眼鏡っ娘主義の批判される理由です。
それでは心の眼鏡っ娘主義は どのようにして境界線を引いているのでしょうか。 彼らにとってそれは内的規範から自明のことなのだと思います。 しかし、心の眼鏡っ娘主義者以外にとっては自明ではありません (というか、自明であったらそれは既に心の眼鏡っ娘主義者ですが)。 これが心の眼鏡っ娘主義とそれ以外の 眼鏡っ娘主義との間に横たわる溝となっているのです。
それはそれと、
『屈折リーベ』については、否定的な見解を持っています。 「心の眼鏡」的な観点で見ても同様に、 眼鏡っ娘信奉者の堕落する姿を描いた作品にほかならないからです。
という見解は注目に値します。 どうやら心の眼鏡っ娘主義にも色々な流派が存在する様子ですね。 これは今後の課題とします。
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すっげ久しぶりに掃除したり。
先日は眼鏡っ娘主義が「発見される」ものとして書きましたが、 これは暗黒時代に生きたヒトについての話です。
現在においては眼鏡っ娘主義は数ある選択肢のひとつに過ぎません。 テリヤキバーガーのように商業的に用意されメディア上に陳列され、 消費者の嗜好によって選ばれます。 消費者は何ら思想的な裏づけが無くとも眼鏡っ娘を消費することができますし、 また多くのはその思想的位置も歴史も意識していないであろうと想像されます。 これでは眼鏡っ娘主義はどうなってしまうのでしょうか? このような状態を許してしまっていていいのでしょうか?
いいのだと、私は考えます。 もちろん私もオサーンですから、 「最近の若いモンは」と言いたい気持ちは解ります。 しかしはたして、 幸福な現在のためには苦難に満ちた体験が必要だと言えるのでしょうか? 市民革命を体験していないと民主主義者ではないのでしょうか? バビロン虜囚を体験していないとユダヤ教徒ではないのでしょうか?
そんなことはありませんよね。 生まれたときから民主主義があってもいいですし、 生まれたときからユダヤ教があってもいいですよね。 生まれたときから眼鏡っ娘主義が存在していて、 誰もが望めば眼鏡っ娘を嗜好することが可能。 良い世の中ではありませんか。
このような「平和」な世の中において必要なは体験ではなく、 むしろ教育なのだと、私は考えます。 理性と説得によって思想は形作られるべきなのです。 だから眼鏡っ娘の素晴らしさを後代に伝えていくことが 我々オサーンの使命なのです。 「最近の若いモンは」と言うヒマがあったらその思想を整理し、 分析し、理解可能にし、表明し、書き残し、 継承していかなければならないのです。
とゆうわけなのでみなさん、 眼鏡っ娘をもっと褒め称え崇め奉りませう。
「スターダストメモリー(前編)(後編)」
あけのんものとまみも台詞が少ないので見るところがありません。
「ああっ想い伝える場所っ」
めぐみたんも沙夜子たんも出番多くて嬉しいですね。
てゆうかのとまみ良過ぎです。選んだ奴エラ過ぎ。
モーターショウがこんなに空いているのは業者日なんでしょうか。
いいですね町内会の福引。
「ああっ偏差値30からの恋愛受験っ」
女神ーズがぞろぞろと出てきましたね。
もっとニンゲンの出番を増やしてくださいよ。
久川頑張っていますねえ、冬馬は問題ないけど。
モニターから出現するとは、貞子たんの仲間でしょうか。
来週は沙夜子たんが出てくれるみたいですね、わーい。
流石にHDレコーダの容量が苦しくなってきたので処理。
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死きているってすばらしいですね。
「今国会での提出目指す」 尊厳死法議連が正式発足へだそーですよ。
しかし個人的には尊厳死には大反対です。 というのは、尊厳死を認めることは 一部の恵まれたヒトをのみ利することになるからです。
私のような人生の敗者は 尊厳死の恩恵にあるかることは決して出来ないのです。 アニヲタがどのような死に方をしたとしても、 そもそも人間としての尊厳が認められていないのであるから 絶対に尊厳死と認識されることはありません。 万人に平等に訪れる、と言われてきた死においてさえも差別されるのは 正直ツライものがありますね。
それはそれと、私は安楽死肯定派です。
理由は単純です。 だって生きているってツライんですもの。 バカアニヲタヒキーの三重苦を背負い 非モテスパイラスまっしぐらな自分の人生に 人並みの幸せなんてありませんよ。 今は萌え萌えなギャルアニメに妄想を膨らますことだけが 唯一の生甲斐になっていますが、 これが白民政調審議会で現在議論されている ギャルアニメ禁止法が成立したりなんかしてしまったら 生きている意味まるでありませんよね。 生きていてもイイコトが無いことが明らかである場合に その生を強制するのは残酷なことなのではないか、と思うのですよね。 負け続けることがあらかじめ定められている人生からは 降りてもいいのではないでしょうか。
それなら自殺をすればいい、と思う方もいらっしゃるでしょう。 でも自殺は嫌なんですよ。 私達はいわば、死の素人ですよ。 素人がやっても失敗する可能性が高いのではないでしょうか。 何度も経験できることなら上達もしようがありますが、 人生でたった一度のことですよ、 専門家ではないヒトがそうそう扱える問題ではないと思うのですよ。 それに痛そうだし、苦しそうですよ。 第一、電車を止めたりしたら100万都民に迷惑がかかるじゃないですか。 だから自殺は嫌なんです。 ひっそりと、誰にも迷惑をかけずに、確実に、苦痛なく、 人生を降りたいのですよ。 そのためにはプロによる安楽死制度が必要なのです。
でまあ、普段からどんな安楽死制度がいいかなあ、 とか考えているわけなんですよ。 安楽死に限らず死に関わる事柄において最も重要な問題はひとつです。 それは、死は不可逆である、ということです。 たった一度で、決して取り返しがつかない、 それが死を扱う上でもっとも注意しないといけない点です。 死んでしまったら生き返ることができないのだから 死ぬ必要が無いヒトが死んではいけませんし、 また死ぬ必要があるのかどうかよく分からないグレーゾーンについては とりあえず生かす方向に倒さなくてはいけません。 安楽死の場合にそれは、 「良い人生を送ることができるヒトが 誤って安楽死を選んでしまうことを回避する」 ことになります。
というようなことをふにゃふにゃ考えた 私なりの安楽死手続きについて以下に説明します。
と思ったけど眠いので明日にします。ぐー。
「遊びの時間は終わらない!の巻」
ちょっといい話でした。
「ジュニア危機一発!の巻」
ジーナ萌えですか。
「翡翠の店」
ええですねえ、
私も川澄声の娘さんと一緒に宝石店なんかに入ってみたいものです。
そんなカネどこから出てくるの解りませんが。
ゲストキャラ田中敦子。
「レンブラント委員会の挑戦」
いいですねえ、
私も川澄声の娘さんと一緒に旅行いきたいものです。
レンブラントって何したヒトなのか知らないのですが、
どこで切るのでしょうかね。
レン・ブラントとかレンブ・ラントとかでしょうか。
それはそれと、弟子に自分の名前で絵を作らせていた
という話は、本当かどうかは確認していませんが、興味深いですね。
現在でも長者番付に載るような漫画家は
自分ではほとんど描いていないことがしばしばですし。
それをどう考えるかは各人の勝手なんですけど、
しかしその区別を明らかにするのは大切なのではないかと思いますが。
和服の小夜子たんハァハァですか。
「乳の値段」
いいですねえ、
私も川澄声の娘さんと電車の中でじゃれあったりしてみたいものです。
母萌えに関してはハッピーレッスンとかがありますけど、
父萌えというのは珍しいのでは。
当世給料事情/6 地方公務員によりますと、
バスの運転手は公営と民間で待遇が全然違いますね。
このお父さんはどっちなんでしょうかね。
部屋が結構広いから勝ち組のような気が。
この日の日記へのリンク http://www.superloser.org/index.cgi?D200502#28
H2Aロケット7号機打ち上げ成功 衛星を分離 だそーです。 めでたい。
いちせさん 2/27に応答。
「ほんとうの眼鏡っ娘」の「心の眼鏡」が見えないのは 「見る側に問題がある」としています。 つまり、心の眼鏡っ娘主義者であることは 「この娘は眼鏡っ娘か否か」と 常に自分の心に問いかけ続けている者でもあるのです。
心の眼鏡っ娘主義おける内省的な態度は 大いに賞賛されるべきでしょう。 しかしそれは後述のように すべての批判をシャットアウトしてしまう可能性があります。 そこで提案なのですが、「心の眼鏡」について明示化し、 「開かれた」心の眼鏡っ娘主義を目指すというのは如何でしょうか。 例えば、心の眼鏡っ娘主義者は、 思うところのほんとうの眼鏡っ娘リストを公開する、 といったような形で。 いや、いちせさんの日記をつぶさに調べれば明らかなのかも知れませんが。 でまあ、各人の差異を際立たせ議論できる形にすることが、 心の眼鏡っ娘主義の発展に寄与し、 またそれ以外の眼鏡っ娘主義者との理解も深まるのではないでしょうか。 もちろん心の眼鏡っ娘は時代、文化、受け手によって変化するものですから、 経典主義に陥る愚を避ける努力は別に必要になりますが。
榛名さん 2/25にも言及があります。 眼鏡っ娘を「展開」と「象徴」に分けて論じています。 その中にある
つまり、僕が思うに、「心の眼鏡っ娘」というのは割と危険な思想に思えます。 危険ってのは言葉が良くないですね。なんていうのかな、可能性を狭めます。 「眼鏡っ娘ってのはこういうものだ!」という思想につながりやすいから。
という指摘はちょっと考えていなかったです。
私は反対に、 「自分が気に入ったものは何でも眼鏡っ娘的なものにすることが可能で、 かつそれが外部から批判不可能」 という点に注目していました。
榛名さんの指摘に鈍感であったのは、いかに心の眼鏡っ娘主義者でも、 眼鏡をかけている、という事実自体は動かせないだろう、 と、そう思っていたからです。 しかしよく考えてみると、心の眼鏡っ娘主義の内部に 眼鏡をかけているという事実を尊重する必要性はなく、 それは外部(他の眼鏡っ娘主義)からの要請に因るものに過ぎませんね。 心の眼鏡っ娘主義独裁が実現した場合を考えると、 その社会では思想、良心、信仰の自由が保障されるとは限らない、と言えます。 これは私が迂闊です。
とゆうわでけなんで私なりに考えました 安楽死手続きについて以下に説明します。
安楽死認定所を日本各地に作ります。 行って楽しいところに作るのが肝心です。 例えば屋久島、阿蘇山、讃岐、那智、能登、上高地、 富士、尾瀬、白神、大雪山、宗谷岬、など。
安楽死希望者は役所に申請をします。 そこから出発して日本中の安楽死認定所を巡って スタンプを集めて帰ってくれば安楽死が認められます。
安楽死申請をすると安楽死手形が発行されます。 安楽死手形があれば鈍行、2等が乗り放題になり、 支払いは公費で負担されます。 また、国民宿舎、KKR宿泊施設、ユースホステルなどに 宿泊でき、これも支払いは公費で負担されます。
安楽死手形の濫用を防ぐ目的で、 安楽死手形は申請日より一年で無効になります。
申請を途中で取り下げることも可能です。 その場合、安楽死手形により発生した支払いは 本人負担となります。 ただし長期の分割払いが可能です。
申請を取り下げた後でも再申請は可能です。 ただし、安楽死手形により発生した支払いが 完了していなければ再申請はできません。
安楽死後、 遺産の半分は申請を受けた自治体のものとなります。 これは相続税とは別に発生します。
上記案には色々問題があります。 最大のものは安楽死手形の濫用、悪用をどうやって防ぐか、 という点でしょう。 本人に悪意が無くても紛失したり盗まれたりする場合もありますから この点はシステムできっちり抑えておく必要があります。 どうやって抑えるかについてはよくわからないんですが、 誰か考えてください(丸投げ)。 また、これが財政的に可能なやり方であるかどうかについては 全然検討していません。誰か考えてください(丸投げ) 。 安楽死手形が交通費と宿泊費だけを保証しているのは、 食費くらいなら生活保護で何とかなるのではないか、 という考えと、 公的/準公的な食事施設が思いつかなかった 私の愚かさに所以しています。 できるだけ本人の負担が少ない方が望ましいのですが、 どうするのがベストなのかよくわかりません。 誰か考えてみてください(丸投げ)。
これは、ヒトが死を望む場合に多くは (1)ウトゥ状態であるか、または (2)視野狭窄に陥っている、 という考えから構築されています。 (1)ウトゥである場合には、 そもそも旅行なんかムリですから、 生存側に倒れざるを得ません。 (2)視野狭窄に対する対応としては、 (a)時間をおくことと(b)いろんなものを見せること、 である程度解消できると思いますので 無意味に面倒な手続きにしています。 この過程で現在自分が拘っている問題は それほど重要ではないと認識するもよいですし 他のやり方があることが理解されてもよいですし、 別の人生を歩んでみたいと考えてもまたよいかと思います。
昨日書きましたように一番重要なのは 「良い人生を送ることができるヒトが 誤って安楽死を選んでしまうことを回避する」ことです。 ですから、 「別のライフコース」について考える機会を十分に与える、 ということが手続きに含まれていることが絶対に必要だと思います。 しかも本人が考えなくては意味がありませんから、 いかにして本人自らが考えるように仕向けるか、 という点が問題になります。 冷静になってそれなりに考えてみたけれど、もう絶望的だよね、 という確認無しには、安楽死は実現できないでしょうし、 実現してはマズイでしょう。
はっ。ということは安楽死肯定派の私も 実は視野狭窄に陥っているだけという可能性がありますね。 それならば自分の視野を広げることにより、 生きて意味が見つかるかもしれませんね。 それならギャルアニメだけに没頭するのはよくありませんね。 ここは他にも趣味を広げてみた方が良いのでしょうかね。 それではギャルゲーとかギャル漫画とかに 粘液に覆われたウネウネした触手を伸ばしてみましょうか。
それはそれと、安楽椅子探偵の親戚に 安楽死探偵が居てもいいのではないかと思ったり。
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連絡は不要です。
とももは
「風雨来記2」
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履歴
2005.01.05 前日記閉鎖
2005.01.16 CDSネット上の日記開始
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2008.08.03 superloser.org上の日記開始
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2008.09.30 CDSサービス終了